マンダラデザインへようこそいらっしゃい
私は、マンダラデザインのチーフデザイナーにして今では誰もやらない、コンパスと定規を 使って作図する手書きの図面工、そしてその図面を基に粗末な工具を用いてモデルを作る モデラーとして、世界?の自動車関連デザイン業界の片隅でトレーディングボルテックスに 巻き込まれながらもがきあえぐ川北哲也と申す者であります。
私が、高校2年生だった1970年、当時の軽四輪ホンダN360のエンジンを搭載した レース入門用?フォミュラーカー(FJ360)ハヤシ702Aのボディをデザインして以来、35年間マンダラデザインとして独立して以来22年間、レースカーを含む自動車と その部品のデザイン開発に従事してきました。
このあたりで一度、これまで自分がやった仕事をまとめたい、区切りたいという思いが 何年か前からふつふつと湧いてきていて個展という形で発表したいと計画していたのですが、 時間ばかりが過ぎ去りなかなか具体化しませんでした。
本年7月(だったかな?)高校卒業以来34年ぶりに同級生だったG君と再会し、G君が プロデューサーのような?仕事をしているというので、あまり深く考えもしないでG君に 個展のプロデュースを依頼したところ、「そりゃ、まず『ほおむぺえじ』だろう」という しごく今風の答えが返ってきた。
まあ、『ホームページ』については今まで考えたことも無かった訳ではないが、何しろ《アナクロ・アナログ・手作り・この道30年・伝統工芸の人》 がウリモノのマンダラデザインさん。
ソリティアの為に?!ン百万円の投資をしたというアカルイ過去の持主ぢゃ。 『ほおむぺえじ』なんて、とんでもはっぷん、あるいてじゅっぷん、さんじのおやつは、 ぶんめいどう。といったあんばいであったのでした。 と言う訳で、そういう部分というか全部をG君が面倒を見てくれるという事になって、 我がマンダラデザインの『ほおむぺえじ』がボッキする事になった。感謝。
さて、内容についてだがマンダラデザインの主な実績?は大別すると レースカーのボディデザイン、コンプリート改造車、エアロパーツ、アルミホイール等に 分ける事ができるがそれらを時系列に並べるだけだとあまり面白くないので、その都度 気が向いた話を1つの作品を通して追加する形にしたいと思う。